スマホ、それはすべてが詰まった危険な爆弾?
『ミラノ、愛に生きる』や『カプチーノはお熱いうちに』など毎年のように大人のドラマの秀作を輩出しているイタリア映画から、またひとつ珠玉の作品が登場した。
友人の家に夕食会に訪れた7人の仲間たちが、それぞれの携帯電話にかかって来た電話やテキストメッセージを共有し合うという“ゲーム”によって、繰り広げられる人間模様を描いたシチュエーション・ドラマだ。現代人にとって、携帯電話、あるいはスマートフォンは、“個人の情報をすべて抱え込んだブラックボックス”。ときには、持ち主でさえも気づいていない秘密が、ここから流れ出てしまうこともある。では、この極めて現代的な端末を遊びに使ってしまった時、どんな危険を孕んでいるのだろうか?
第60回ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞を受賞!
世界中の映画祭で脚本賞・観客賞など16冠の栄誉!
ウィットに富んだ会話とエモーショナルな物語展開で本国イタリアの観客を魅了した本作品は、イタリアのアカデミー賞にあたる第60回ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞で作品賞と脚本賞のW受賞を果たした。CM界で数々の賞を受賞した後、映画界入りした遅咲き型であるパオロ・ジェノヴェーゼ監督にとっては、初の大きな栄冠である。パオロ・ソレンティーノの『グランドフィナーレ』やジャンフランコ・ロージ監督の『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』といった大物監督による強豪を抑えての快挙は、まさにこの作品がいかに人々の心を捕らえたのか、その証拠だといえるだろう。
イタリアが誇る実力派俳優陣が魅せる96分間!
俳優陣は、『ベニスで恋して』のジュゼッペ・バッティストン、『夏をゆく人々』のアルバ・ロルヴァケル、『天使が消えた街』のヴァレリオ・マスタンドレア、『カプチーノはお熱いうちに』のカシア・スムトゥニアクなど現代のイタリア映画界を支える実力派。その胸を突くような演技は、「あなたは、スマホを愛する人や友だちに見せられますか?」という問いを現実味のあるものにするだろう。
Comments
最後の最後まで騙されっぱなし!! 男女7人による一軒家の中だけで展開される密室劇に舌を巻きました。僕もぶっちゃけ、一度は妻の丸岡いずみのスマホを見てみたいと思ったことがあるが・・・この映画を見て見なくってよかった。。。 全ての夫婦やカップルにあえて一緒に見ることをオススメ!
次々に暴かれるそれぞれの秘密と大人の事情。ゲラゲラ笑いながらも、どうまとめるのか?とスリリングな展開。エンディングもなる程と、大人の事情。よくできた一幕ものの舞台を見ているようだった。面白かった。
気をつけてください。映画が終わる頃にはパートナーの携帯の着信音が怖くなります。 そして自分のもね…。
スマートフォンやSNSが我々の人生にどれだけ侵食したのかをある意味物語っています。人間の汚さが清々しい位描かれています。
悲劇と喜劇、ホラーとギャグは紙一重……秘密が暴露されたあとの気まずい沈黙と皆の表情がシュールすぎて、笑いながらも恐怖に震えるというかつてない体験ができました。
月食の晩、絶対に参加したくない、おとなのゲームが始まる。 原題を訳すと赤の他人という意味だそう。 知ってるつもりでいるあの人の本性は、小さなスマホに潜んでいるのかも。
テーブルを囲むスマホに翻弄された人たちが滑稽だったり哀しかったり。最初は美味しそうに見えた食事が、最後はそんなのどうでもよくなってしまっていた。
世の中には知らなければ幸せなことのほうが多い。……ですよね?
登場人物のイメージが180度変わっていく第一印象激変映画!人間のゲスい内面が浮き彫りになる展開、目が釘付けになりすぎてドライアイ気味に!
私はこの映画を観て、不完全さを受け入れられるという事こそ愛で、それこそ幸せな事だと感じました。人も自分自身もこの世の中だって、不完全で溢れていて完璧なものなんて何1つない。自分自身同様に受け入れられるという人に出会う事こそ幸せな事だと思いました。
日本人の夫の75%、妻の30%が不倫する時代。不倫経験者も未経験者もきっとこのイタリア映画に共感するに違いない。
パートナー、友人、家族について私たちが知りうるのは、基本的には、自分といるときにどうであるか、だけだ。本当のことは、別の本当を破壊してしまう。それでも知ることが、理想の関係に近付く一歩なのか…?こういうことが起こったときの予習の為にも、大事な人と劇場で見てみてはいかが?(しーらない)
携帯が鳴ると心臓が止まりそうでパスタなんか喉を通るはずはない!友人、そして自分が何者かを鋭く突きつける笑いと涙の会話劇。何が嘘で何が真実かを、固唾をのんで見るしかない。
スマートフォンやSNSには、人びとの秘密がしまい込まれている。しかし伴侶や恋人のスマホをうっかり見てしまってトラブルになったり、インターネットでときおり話題になる「炎上」事件などを見ても分かるとおり、この新しい情報通信テクノロジーはプライバシーをだだ漏れにしがちだ。
本作では、その「だだ漏れ」が浮かびあがらせる騒動をきわめて鮮やかに描いている。夫婦やカップルなど七人の大人が、ひとつの家に集まって食事を楽しむ。ひょんなことから互いのスマホを見せ合うゲームが始まってしまう。「メールがスマホに届いたら全員の目の前で開くこと」「かかってきた電話にはスピーカーに切り替えて話すこと」という二つのルールを設定して、互いにどれだけ情報をオープンにしても大丈夫かという信頼度を測り合うのだ。やがて話は思いも寄らない方向に展開していって……きわめてイタリア映画的な大人の関係性を描き、しかしとても二十一世紀の同時代的でリアルな物語である。
プライバシーというのは、欧米でも日本でも近代の市民生活を営む上での基本的な約束事だった。しかし個人の秘密を重視してきた近代社会の枠組みは、いま新しいテクノロジーによって壊れつつある。この事態に慣れない移行期のいまだからこそ、逆に人間の本質が可視化され、表層に浮かびあがってくるということがあるのかもしれない。本作はそういう人間の本質の「可視化」をきわめて巧みに映像化した作品だ。